「#さるゲー」を読んで考えたこと(その2)
※このエントリーは「その2」ですので,その1を未読の方はまずこちらからお願いしますm(_ _)m
②「子どもたちの異なり力を認めるのなら,教員の異なり力もお互いに認め合わないといけないのではないか」
さる先生は同著の中で,「異なり力」という言葉を何度も使われています。同著のキーワードの1つと言ってもよいでしょう。
(前略)そこで,「ここをこうしたら,もしかしたら何かよいモノやコトができるのではないか」という,自分だけの味方を働かせる力が必要となってきます。これが「異なり力」です。(p.30-31)
今後の社会において異なり力が価値を生み出すという話題から,実際に授業でどのように異なり力を育めばよいのか,という具体例まで同著には示されています。なお,このあたりは「シン・ニホン」の中で述べられている「ヤバい人財」(p.162)と同義と捉えてよいかと思います。
この異なり力を育てる必要があるというさる先生の主張に,私は賛成です。ですが,その為には,教員の観をアップデートすることもそうですが,それと同等,いやそれ以上に高いハードルがあると考えます。それが,特に小学校に力強くはびこる「学級間の横並び意識」です。これも同著で言うところの「不自然な教育」(p.25)の象徴だと考えます。同じ学年でクラス間に違いがあってはいけない,足並みを揃えるべきだ,という意識です。
私は若い頃,6年生を担任したときに子ども達から「給食の片付けに時間がかかり過ぎているから,どうにかしたい」と問題提起をされたことがあります。学級会を開き,自分たちで意見を出し合い,結果的にスピーディーに給食の片付けが出来る仕組みを作り出すことができました。ところが,その数日後,私が校外の出張で不在だった際に填補に入ったベテランの先生(いわゆる”お局様”)に言われたのです。
「先生のクラスは片付けのルールが違う。学校のルールがあるのだから,従いなさい。」
私は抗いました。子ども達が自分達で問題提起して解決したことに価値があるのではないか,順番などが多少違うだけの差異も認められないのか,そもそも揃える必要があるのか。。。でも結果的には教務主任などからも外圧がかかり(お局様の校内政治力が発動しました),私は折れざるを得ない状況になりました。
「ごめん,給食の片付けのルールは元に戻します」
そう,子ども達に告げた時の屈辱。
子ども達の悲しそうな目。
一生忘れられない,トラウマです。
こういった事例は,学校の教育現場では枚挙にいとまがないと思います。過度な横並び意識,未だに金融ビッグバン前の護送船団方式のような意識が,教育現場(特に小学校)には残念ながらまだまだ残っているように私は感じています。
じゃあどうすればよいのか。私は今年度(2020年度)初めて学年主任を務めていますが,年度の冒頭に学年の先生方に伝えた言葉があります。それは,
「(クラス間で)差はなるべく無くしたいが,違いはあってもいい」
という言葉です。これは,以前なんちゃら訪問で指導主事の先生が学校に来たときに仰った言葉で,それ以来ずっとその意味を考えてきた言葉です。私なりの解釈は「担任の先生によって,キャリアも違えば得意分野も違う。だからクラスによって違いが生まれるのは当然で,寧ろその方が自然な状態。でも,だからと言ってそれぞれが好き勝手にやっていいというのも違う。手段は違っても,学校や学年の方針を意識し,クラス間に差が生まれることはなるべく避けるように努力すべき」というものです。
「差」というのは,たとえば学習進度。私は,学年でテストの実施週は揃えています。月曜日にやっても金曜日にやってもいいけど,この週に取り組んで翌週に返却してくださいね,と(双子対応などもあり)。また,普段の授業ではなく全校的な取り組み(今だと卒業式に向けた各種準備)などでは,差が生まれないように気を遣っています。
一方で,授業における創意工夫は基本的に先生方に任せています。もちろんワークシートや動画といった各種資料はTeamsなどで共有しますし,誰かの取り組みをみんなでコピーすることもあります。ただ,やっぱり自分で生み出すのが一番じゃないですか。思い入れがないと,”体重が乗らない”んですよね(私だけでしょうか…?)。
このあたりのバランス(≒クラス間での違いの許容度合)は難しいですよねー。。。学年主任をやったことがある方なら,このあたりは共感いただけるのではないかと思います(笑)
先日文科省から出された資料(「令和の日本型教育」の構築を目指して)の中でも,教職員の姿として「学校教育を取り巻く環境の変化を前向きに受け止め,教職生涯を通じて学び続け,子供一人一人の学びを最大限に引き出し,主体的な学びを支援する伴走者としての役割を果たしている」と表現されています。伴走者という表現がなかなか踏み込んでいるなぁと感じましたが,お互いに異なり力を認め合いながら,我々教師も子ども達と共に学んでいかなければならないと感じた次第です。
今回のエントリーは以上となります。
最後までお読みいただき,ありがとうございました。