つれづれと雑文

書きたいことを書いているだけのブログです

44歳の私が小沢健二の東大講義に行けることになった話

1994年。滋賀県で中3だった私は、受験勉強もそこそこにラジオばかり聴いている子どもだった。季節はいつだったか忘れたが、ふと流れてきた「ラブリー」に衝撃を受けた。

youtu.be

それから、TVやラジオで彼を追うようになった。特にダウンタウンがMCをやっていた「HEY!HEY!HEY!」という番組をよく見ていたなぁ。

 

「ドアをノックするのは誰だ?」「強い気持ち・強い愛」「カローラⅡに乗って」「痛快ウキウキ通り」「流れ星ビバップ」…数え上げればキリがないけれど、たくさんの名曲達が私の青春を彩ってくれた。

 

 

受験生だった1997年の夏は、ひたすらウォークマンで「Buddy」を聞いていた。

youtu.be

当時高校の同級生と三角関係になっていたので、当時の私は「争いも恋もしかたない それが夏休み」の歌詞が、まるで自分のことを歌ってくれているような錯覚に陥っていた笑 で、1回は告白されたのに数日後にフラれて(友人と付き合うことになって)、「PANIC それなりの事態」になったという笑笑(無理もない それが夏休み)

 

 

 

時は流れて。私が初めてオザケンのライブに行ったのは2016年のこと。

 

一番印象に残っているのは、生の小沢健二本人の姿ではなく、スクリーンに映し出された歌詞。当時未発表曲だった「流動体について」の歌詞に打ちのめされたのだ(※オザケン含め、演者の後ろのスクリーンにこの映像が流れていたのです)。そして、自分は小沢健二の(楽曲というよりは)歌詞に魅せられているのだな、と気付かされた。

youtu.be

 

「春空虹」にも行きました。満島ひかり、良かったなぁ…(しみじみ)

 

 

2013年生まれの長男も、オザケンに興味をもってくれました。

 

 

そして2022年、息子と一緒にライブへ。2年越しというストーリーも相まって、一生忘れられない思い出が出来ました…!

 

 

 

そんなこんなで約30年間、小沢健二の音楽に触れてきた私ですが、実は今年(2023年度)、職場の制度で大学院に派遣されていまして。

 

dan-makino.hatenablog.com

 

 

そしたら、6月に衝撃の発表が…! 

natalie.mu

www.hihumiyo.net

 

こんな奇跡ある?「ある光」以前からのオザケンファンで、この講義の受講資格を満たしている人は極めて僅かだろう。現に、「今からでも科目等履修生とかで受講資格を満たせないかしら」的なツイートをたくさん見かけた。

 

まさに僥倖としか表現できないタイミング。ただ、勿論無条件で受講できるわけではない。レポートによる選抜があるのだ(上記リンク参照)。7/14の〆に向けて、ありったけの思いをこめてレポートを書いた。大学院の課題と並行していたのでなかなかにハードモードだったが、若い学生との差別化を意識して文章を書き、締め切り間際に提出をした。

 

レポート執筆中のテーマソングは、「ウルトラマン・ゼンブ」。正に「知っている僕の全部をかけ」て、「この地点から放つ必殺光線」を「届く」と信じて、書いていた笑 コロナ禍のときにもたくさん勇気をもらいましたが、この曲は本当にもっと世に評価されてもいいと思います、マジで。

 

youtu.be

 

連絡が無いから落ちたのかな…遠慮せずにもっとページ数書けばよかったかな…と思っていた7月31日の夕方。待ち望んでいた連絡が、遂に来た。

 

「ラボで厳正な審査を行った結果、〇〇さんの出席をお認めすることになりました。」

 

メールを見た瞬間、やったぜ!!という感情というよりは、1994年からの(上記のような)あれこれが胸を去来し、「よかった…」というしみじみとした気持ちになりました笑 その日の夜はこのGIFを肴に呑んで、ちょっと泣きました笑笑

 

 

 

小沢健二本人のSNSには、このように書かれていた。

 

 

「たくさんの熱量高いレポート、本当にありがとうございます。光栄です。」 

 

本人に伝わった熱量の中に拙い自分の文章が含まれているのだと思うと、それだけで胸が熱くなります…

 

…ということで(?)、私は2023年9月30日の「小沢健二東大900番講堂講義」に出席できる運びとなりました。ありがとうございます。万感の思いを込めて、受講してきます…!

 

 

以上となります。自己満足でしかない駄文を最後までお読みいただき、ありがとうございましたm(_ _)m