つれづれと雑文

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「withコロナ社会」において学校の先生が出来ることについての考察①~こういうときこそイシューからはじめよう~

「学校再開後の子供たちの笑顔を思い浮かべながら,この時期に出来ることをしっかりやっていきましょう」

 

在宅勤務の開始にあたり,私の勤務校の学校長からのメッセージには,こう書かれていました(私は,小学校の教員をしています)。

 

確かに,学校が再開される日は,いつかは来るのかもしれません。しかし,数年間は来ないかもしれません。多くの自治体で学校の再開予定日は5月7日だと思うのですが,どうも無邪気に「この日(もしくは近日中)には学校は再開できるだろう」ぐらいに考えている節が,私の周り(勤務校,自治体,教員の友人,Twitter職員室界隈など)にはあるように思います。

 

そんな「いつかは元通りの社会になるだろう」と考えてる方に是非読んでいただきたいのが,このエントリーです。

kaz-ataka.hatenablog.com

 

(↑のエントリー読了を前提で以下を進めます)

 

「シン・ニホン」の著者である安宅氏は,コロナと共に生きていく社会を「withコロナ社会」と名付け,「あらゆる伝染病との共存」を所与の条件として位置付けています。このエントリーや引用されている記事等を読めば読むほど,従来の「30人~40人の子供が一つの教室に毎日集まる」ことを前提とした従来の公教育は今後は成り立たないと考えられます。

 

じゃあ,どうしたらいいの?

これからの公教育は,どうあるべきなの?

現場の教員である我々は,子供の為に何が出来るの?

 

考えれば考えるほど思考が拡散し,ここ数日間,出来の悪い私の頭はぐちゃぐちゃになっていました(苦笑)。

 

そこで思い出したのが,同じく安宅氏の著書「イシューからはじめよ」です。

 イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

  • 作者:安宅和人
  • 発売日: 2010/11/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

世間では名著と言われている一冊ですが,数年前に読んだ際には,正直そこまで自分にとって必要性を感じていませんでした。

 

しかし,環境(≒私達教員でコントロール出来ない条件)が激変し,公教育の前提が崩れている今だからこそ,イシューからはじめるべきなんじゃないかと。

 

じゃあ,今の自分(或いは学校の先生たち)にとってのイシュー(今本当に答えを出すべき問題)とは何か。結論から先に述べたいと思います。今の時点での私のイシューは,

 

「学校というハコが機能不全となる状況において,学校の先生達は,受け持つ子どもたちに教科を学ぶ場(≒従来の教室での授業の場)を提供するために,何を行うべきか」

です。

 

前掲の本では,よいイシューの3条件として以下の3点が挙げられています。

 

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「イシューからはじめよ」p.56より引用

 

私がこのイシューを「よい」と考えた理由を,この3条件に則って述べていきます。

 

1.本質的な選択肢である

このエントリーの冒頭でも述べましたが,どうも多くの先生方(及び教育行政に関わる人たち)が「今までどおり毎日子どもたちが登校してくる学校」,つまり(上記ブログ内における)「アフターコロナ社会」のことしか考えていないように感じています。しかし,多くの専門家が指摘しているとおり,コロナとの戦いは長期戦になると現時点では考えられています。であれば,withコロナ社会,すなわち学校というハコが長期にわたって機能不全になる状況,わかりやすく換言すれば「子供たちが今までのようには登校できない状況」を想定すべきなんじゃないか,という考えが,このイシューの冒頭の言葉に繋がります。

 

さらに細かく定義するならば,「機能不全」とは,「完全に登校できない状況」だけでなく「(いわゆる3密を回避するために)シフト制による,数日に一度の登校は許される状況」も含んでいます。この2つの場合分けは,現場の先生ではなく学校の設置者(公立校ならば,行政)が決めることではありますが,それぞれの場合で先生のタスクや学びのデザインが全く異なってくるので,学校の先生は自分の勤務校の状況を鑑みて,両方の場合を分けて考える必要があると考えています。たとえば,都内の学校と感染者がほとんどいない県の学校では,状況が全く異なるでしょうから。

 

まとめると,こんな感じです。

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2.深い仮説がある

私の仮説は,

 

「学校の先生が自分の目の前の子供たちの実態に応じてテックを効果的に用いることが出来れば,学校というハコが機能不全となる状況においても教科教育の質は維持できる,むしろより高い質の教育を提供することが出来る」

 

です。教育×テックの可能性については各所で述べられているところなのでここでは割愛しますが,公教育に携わる学校の先生にとって肝要なのは太字の部分,即ち「自分の目の前の子供たちの実態に応じて」という部分だと考えています。目の前の子供たちの実態というのは,「イシューからはじめよ」の中で重要性が強調されている「一次情報」にあたります。「Zoomがいいらしいよ」「Teamsを使えばこんなことが出来るらしいよ」というレベルで留まらず,「目の前の子供達の為には,どんな学びのデザインを描いて,何にどう着手すべきか」という問いに対して,それぞれの学校現場で一人一人の先生方が真剣に知恵を出し合うべきだと考えています。そういう文脈において,自宅勤務において「漠然と学校が再開できる日を願っての,教室における授業を見据えた教材研究」ばかりしているのは,果たして本当の意味で子供の為になっているのだろうか?と先生方には考えていただきたいと思います。(勿論,教材研究をする事が悪いとは言ってないですよ?念の為。)

 

なお,「ネットに繋がる家庭ばかりではない」「端末はどうするのか」「教育格差が広がる」などといったツッコミに対しては,「自分達がコントロール出来ないことを嘆く前に,出来ることを考えて実行しよう」と提案します。具体的には,いつか自分の自治体が熊本市のように端末の貸出などの施策を実行してくれることを想定して,公平性が(完璧とは言わないまでも)ある程度担保されたときの為に今から準備しておこうという心構えでいた方がいいのではないですか?ということです。そう言えば,「文科省が小中学生がいる家庭にモバイルルーターの貸与を検討している」,なんてニュースもありましたよね。

 

また,言い訳も1つしておくと,仮説の中で「教科教育」とわざわざ対象を絞ったのは,たとえば学校行事で培われる資質・能力を学校というハコに依存せずにテックで解決する方法が,私にはまだイメージ出来ないからです。恥ずかしながら。(学校の先生なら原体験があると思うのですが,たとえば「運動会で応援団長をやりきったあの子は,見違えるように成長した!」みたいな事って,あるじゃないですか。それをテックで再現する術が,現時点では私には全く見えていません。。。)

 

この仮説が新しい構造で世の中を説明しているかどうかは断言できませんが,少なくとも,学校というハコが長期間かつ広範囲において機能不全となる状況(※)は,日本の明治以降の公教育の歴史には無い新しい構造であると言えると私は考えます。

 

※戦中/戦後や東日本大震災の時なども同様の状況であったかもしれませんが,「伝染病によって終わりが見えない」という点で今の状況は新しいというのが,私の考えです。

 

3.答えを出せる

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「イシューからはじめよ」p.74より引用

私はこのイシューは「既存の手法,あるいは現在着手し得るアプローチで答えを出せる」(前掲書p.73より)イシューだと確信しています。そして,図の中にあるように「今,本当に答えを出すべき」かつ「答えを出す手段がある」問題だと捉えています。順に考えを述べていきます。

 

<今,本当に答えを出すべきか>

多くの自治体の学校で,コロナによる臨時休校が続いています。前出の熊本市のような熱心な自治体の取り組みや,各学校の創意工夫に溢れた取り組みが「子供たちの学びを止めないために」行われているところだと思います。しかし,多くの保護者から休校が続くことによる不安の声が上がっているのも,事実です。特に,中3(受験生)の保護者から多くの不安の声が上がっているようです。また,先生方の中にも「本当に今年の教科書は終わるのかな?」といった不安がある方もいらっしゃるでしょう。こういった現状は,このイシューに答えを出すことの必要性を示していると考えます。

 

<答えを出す手段はあるのか>

テックが全てを解決するとは思いませんが,調べれば調べるほど教育のおけるテックの可能性は大きいと感じます。これまで営々と培われてきた公教育の文化や膨大な教育技術とテックを掛け合わせることで,必ずそれぞれの目の前の子供たちに応じた「答え」が見つかると,私は考えています。

 

 

 

・・・長々と持論を述べてきましたが,実はここまでが前段階です。思い出してみて下さい。本のタイトルは「イシューからはじめよ」,そう,イシューの定義は「はじまり」なのです!(笑)

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「イシューからはじめよ」p.34より引用(赤枠は筆者)

一週間で言えば今回のエントリーはまだ「月曜日」なのです。次回は「火曜日」,仮説ドリブン①の枠組みに沿って,考えていきたいと思います。

 

長文お読みいただき,ありがとうございましたm(_ _)m

ツイッター(@dan_makino)に御意見や御感想をいただけると,とても嬉しいです。

 

 <追記>

この記事の推敲をしていたタイミング(4/16の夜)で,こんな記事が。追い風,吹いてます!

www.kyobun.co.jp