つれづれと雑文

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自分なりの原理原則を打ち立てよう!

久々の更新ですが,最近思うところがあって,徒然と書いてみます。

 

ここ数年,Twitterやブログなどで情報発信する教員が増えてきました。有益な情報が気軽に無料で手に入るなんて,素晴らしい風潮だと思います。

 

でも,一部の方の,情報を受け取る側の姿勢が,どうしても気になってしまうのです。妄信的,とまでは言いませんが「○○先生の実践を真似すれば大丈夫!」「△△こそが最強!」みたいな,安易な受け取り手が多くなってきているような気がして,おじさんは心配なのです(苦笑)

 

突然ですが,私が大好きな小説「坂の上の雲」にこんなシーンがあります。

 

時は明治。海軍の戦術について学ぶためにアメリカに留学した主人公,秋山真之は,尊敬しているマハン大佐という人物に会いに行きます。そこでマハンはこんな言葉を真之に言うのです。

 

「過去の歴史から実例を引き出して徹底的に調べることである。近世や近代だけでなく古代もやる方がいい。戦いの原理に今も昔もない。」

 

「陸と海の区別すらない。陸戦を調べることによって海戦の原理も分かり、陸戦の法則や教訓を海戦に応用することも出来る。」


「それから得た知識を分解し、自分で編成し直し、自分で自分なりの原理原則を打ち立てることです。自分で立てた原理原則のみが応用のきくものであり、他人から学んだだけではつまりません。」

(「坂の上の雲」2巻(文庫版)より引用)

 

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(↑これは昔NHKで放送されたものですね)

 

このマハン大佐の言葉を,こうは置き換えられないでしょうか。

つまり,

 

「過去の歴史から実例」⇒古今東西の教育実践

「陸と海の区別すらない」⇒教科の区別すらない

「自分なりの原理原則」⇒自分なりの教育技術

 

というように。

 

「再現性が大事だ」というインフルエンサーの言葉の裏に,彼/彼女が発信するキラキラした成果物の裏に,どれだけ現場で泥臭くもがき苦しんだかということが想像できていますか?表面だけを受け取っていませんか??

 

マハン大佐が言うとおり,大切なのは「自分なりの原理原則を打ち立てること」なのだと,強く思います。もちろん,最初は真似でもよいと思うのです。でも,真似だけじゃつまらないじゃないですか。再現性がどんなに高い実践だって、100%には絶対にならないわけですし。

 

そもそも,当たり前ですが,私たちの目の前にいる子どもは千差万別です。同じ学校で同じ学年を2年連続で受け持ったって,集団や個々人の特性は全く異なります。子ども達のコンディション(テンション)も日によって違うし,1校時か6校時か,時間が違うだけでもいろんな匙加減が変わりますよね。だからこそ,応用が利くように,インフルエンサーの方法論を真似するだけでなく,自分なりに考える必要があるわけです。

 

実際,私は専門外の教科の研究授業もよく観に行きます。最近では,社会の授業を観て「資料を多面的に見る」ことの大切さを学びましたし(そしてその学びを自分の算数の統計領域の授業に繋げました),2年生の国語の授業を観て,そのきめ細やかな教師の手立てに震えました。学んで得たことを少しでも自分の糧にしたい,自分なりの原理原則の確立に繋げていきたい,そう考えています。

 

「自分なりの原理原則を打ち立てる」口で言うのは簡単ですが,難しいですよね。教員歴12年目の私も,まだまだもがいている真っ最中です。でも,上述のとおり,今は良質な情報が簡単に手に入る時代です。数多の情報を自分の糧にして,自分なりの原理原則を形作っていきたいと考えている次第です。

 

最後まで読んでいただき,ありがとうございましたm(_ _)m

 

 

<追記>

誤解が無いように書いておきますが,私は所謂インフルエンサーと呼ばれる方達を心底尊敬しています。ある意味で,熾烈な競争を勝ち抜いておられる方々は,それだけでも凄いですし,訴求力の高いコンテンツには本当に惚れ惚れします。今回話題にしたのは,あくまで情報の受け取り手側の,姿勢の問題です。