つれづれと雑文

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「#さるゲー」を読んで考えたこと(その1)

さる先生の新刊が出ました。今日届いたのですが,一気に読了しました^^

 前著である「全バカ」同様,これから何度も繰り返し読んでいくことになりそうなので,現時点での感想や考えたことなどをまとめておこうと思います。正直に言うと,頭の中でいろんな思考がぐるぐると廻っており,ある程度は吐き出さないと全く寝れる気がしません(苦笑)(現在23:20)

 

私にとって,本著の中でぶっちぎりで一番おもしろかったのはⅡ章です。豊富な実践例もさることながら,学力の3観点についてそれぞれ私見を述べている箇所に彼の哲学が滲み出ていて,いや滲み出るというよりは溢れ出ていて(笑),大変読み応えがありました。

 

8割思考で知識の獲得,技能の習得を終え,あとの時間をヒトにしかできない領域での力を伸ばすことに使うことが必要なのではないでしょうか。(p.64より引用)

 

(前略)時代がアート思考のパワーを必要とし始めたのです。これから,どう子どもたちの「異なり力」を伸ばしていくかは,僕たち世代に与えられた課題です。(p.81より引用)

 

(前略)その単元で学ぶコンテンツを手段とし,未来を生きる上で汎用性の高いコンピテンシーをどう伸ばしていくかという見方を,教員が働かせることはこれからマストとなっていきます。(p.91より引用)

 

引用した箇所以外にも胸熱な文章がたくさんあるのですが,この章では「~ではないでしょうか」と読者に判断を委ねる文末と,「~べきです」「~です」と筆者が主張する文末が入り乱れていて,それがとても面白い。現場の教員が,現場で実践を繰り返して思考しているからこそ,こういう文面になるのだと感じました。(そしてさる先生も超絶インフルエンサーなんだけど,やっぱり最前線の現場に立つ仲間なんだな,となんだか嬉しくなりました)

 

一度通読した今の段階で,私が強く感じたことは2つです。それは①「目の前の子どもの実態も,先生の個性も千差万別。観のアップデートさえ怠らなければ,アクション(行動)は多種多様あっていいのではないか」という点と,②「子どもたちの異なり力を認めるのなら,教員の異なり力もお互いに認め合わないといけないのではないか」という点です。以下,詳しく述べていきます。

 

①アクションは多種多様あってもいいのでは

 

突然ですが,私は毎年お正月に楽しみにしている番組があります。それは,テレビ東京が放送する「大間のマグロ」のドキュメンタリーです。

www.tv-tokyo.co.jpいかにも昭和生まれのおじさんが好きそうな番組ですが(汗),今年この放送観ていて思ったんですよ。「ああ,この地域で生まれ育つ子どもたちに必要な資質能力って,自分のクラスの子どもたちとは全然違うな」って。当たり前じゃん,と突っ込まれそうですが,そんな気付きがあったんです。

 

さる先生が「俺の実践こそが至高なんだから,みんな俺の真似をすればいい」なんて考えているとは微塵も思っていませんが(笑),この本で提示されている実践はさる先生の実践です。彼が,目の前の子どもの実態を捉えた上で行っている実践です。もちろん素晴らしい実践ですので,真似したい人は真似すればいいでしょう。でも,真似だけが全てじゃないと思うんです。たとえば私は本著で述べられている「疑う力」(p.86)を伸ばすために,算数で「批判的思考」を育む実践を数多く行っています(教育論文も書きました)。

学校でよく語られる授業観,教材観,子ども観といったものは,結局は世界観に内包されているのです。(p.165)

私が本著で(今のところ)最も共感しているのがこの一文です。教員ひとりひとりが世界観をアップデートすれば,あとは自分の得意分野で,自分が最も熱量もって授業で勝負できるフィールドでチャレンジすればいいんじゃないかな,そんなことを考えました。だって知識伝達型の“うまい授業“なんて,今やYoutubeで再生し放題じゃないですか。私たち現場の教員がユーチューバーに勝れるのは,肌身で感じる熱量しか無くないですか!?(←深夜のテンションになってきました,申し訳ないですm(_ _)m)

 

すみません,金曜日の夜に約1時間書いてきましたが,エネルギー切れですm(_ _)m  ②については,後日また書いていきたいと思います。ここまで読んでいただき,ありがとうございました。

 

 

最後になりましたが,さる先生,執筆お疲れ様でしたm(_ _)m

素敵な本を世に出していただき,感謝です。