つれづれと雑文

書きたいことを書いているだけのブログです

#youはどうして先生に

面白いハッシュタグTwitterに流れてきたので,過去の自分が書いたテキストからコピペしてみます(笑)10年以上前に書かれた文章は,それはそれは青臭く,推敲したい気持ちもあるのですが,当時の自分の思いや空気感を大事にしたいので,そのまま垂れ流しちゃいます。

 

先に断っておきますが,ここから先,生産的なことは何一つ書いていません。単なる「自分語り」です(苦笑)。それでも良ければ,どうぞお付き合い下さいませm(_ _)m

 

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2004/10/25

title:現実

 

週末つくばで飲みすぎて酒枯れした喉の痛みも、来月から別のプロジェクトに配属になったから作らなきゃいけない引継書の仕事も、 第7戦までもつれて、熱くなれるはずの日本シリーズも。

 

 

 全部現実なのに、現実じゃないみたいなのはどうしてだろう。

 


朝の満員電車も、もみくちゃになりながら縦に折って読む日経も、 昼に大盛り無料の店に行って「じゃぁ大盛りで」って注文をするのも。

 

全部日常の出来事なのに、日常じゃないみたいなのはどうしてだろう。

 

 

            

 「そろそろ貯金も増えてきたことだし、新しいスーツでも新調するかな」


そう思ってたのに。太いストライプのヤツがいいな、なんてイメージまでしてたのに。

 

 

 

 


まさか、次に買うスーツが黒い礼服になるなんて。

 

 

 


『ダンの夢って何なの?』

大学に入ってすぐの飲み会の後。
酔い醒ましの散歩とか銘打って、当時君の事が好きだった僕は、君を散歩に誘ったよね。


その時に言われたこの言葉。


自分の将来なんて考えた事もなかった僕が、未来を想い描くようになったキッカケになった言葉。

 


ねぇ、ごうごう?

あの時はうまく言葉にできなかったけれど、君の言葉をきっかけに考えた「夢」の入り口に、今僕は立っているよ?

 


ねぇ、ごうごう?

僕は君になにかしてあげれたのかな?

お互い大学の寮を出て、ご近所さんになった時。
 「あ、ちょっと待ってて!」
朝ばったり出会ったとき、君はそういって自分の部屋に戻って、りんごを1つとってきて、 「おいしいんだよこのりんご」と言ってそっと手渡してくれたよね。
あのりんご、めっちゃおいしかったで。 結局そのお返し、しなかったね、俺。ああそうそう、年賀状もくれたよね。 俺、返事書いたっけ??


 最低だね、俺。
 結局、君に僕は何にもしてあげられなかったね。
ごめんね。

 


            


―切なさだけで 悲しみだけで 

 君の街まで飛べればいいのにな―

 

 

アジアン・カンフー・ジェレーションの『ソルファ』。今日本で一番売れているこのアルバムの中の『君の街まで』という曲のこの歌詞を、今の僕程噛みしめている人はいないはず。たとえ何万人がこの曲を聴いていようとも、絶対に。

 


虚無感を紛らわすために寮の非常階段で煙草を吸う。星でも見えれば気が紛れるかな、なんて思ったけれど生憎外は曇り空。

 


 「やっぱり現実なんだよな」

そう呟いて、吐いた煙草の煙が

 


ゆっくり。

 


ゆっくりと、

 


 君の街の方へ。

 

 

 

 

 

天国のごうごうへ。

もうちょっとだけ、もうちょっとだけ待ってください。現実を、現実として受け止めれるまで、もうちょっとだけ時間を下さい。


今我慢しているこの涙が、堰を切ったように流れた時、きっと現実が現実に変わるから。

 


それまでは、僕の思い出の中で笑ってて。

 

 

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2014/11/30

title:ごうごうから教えてもらったことその1

 

 

今日の会議は刺激的で面白かった。お客様との会議だったのだが、書籍などでは決してわからない、生の現場の話をたくさん聞く事ができた。そして、それをどうITを用いて解決していくべきかを考えるのが、僕達の仕事。


つくづく、学生時代に想い描いた、憧れた仕事に今就いていることを実感する。現場にいることでわかる情報、親切な先輩方。全てが理想どおりにいっている、と言っても過言ではないぐらいの環境に今僕は立っている。


昨日、人事部からの依頼のあった会社案内をした。相手は、研究科の後輩達。堅苦しい場にしたくなかったので、ウチの会社のPRもそこそこに、ざっくばらんに
就職活動全体について話をした。


2年前、僕も彼らと同じように就職活動をした。あの時期、もがき苦しみながら精一杯悩みぬいたからこそ、今の自分があるんだ。そう改めて実感する。と同時に、あの時期お世話になった先輩方の顔が浮かぶ。彼らの助言があったから今の僕があるわけで、僕も後輩の彼らにとってそんな存在になれればいいなぁ、と思ったり。


そんな事を考えていたのも、今思えば次にやって来たインパクトの伏線だったのだろう。


つくばからの帰りのバスの車中、ごうごうの事を考える。大学を卒業し、子供達に自然教育をする活動を始めた矢先の事故で亡くなったごうごう。自分の大好きな自然から、子供達に何かを感じてもらうための活動をしていたごうごう。

 


ー瞬間、頭の中で、何かが弾けたー

 


僕は、自分の事しか考えていなかった。「なりたい自分」になるための努力しか、していなかった。仕事から、本から知識を吸収することしか考えていなかった。次に目指すべき資格を決めたりして、自分のキャリアパスしか考えていなかった。

 

そうだ、僕が「人に伝えられる事」ってきっとあるはずだ。自分のためじゃなくって、人のためにできることってあるはずだ。


 就職活動を応援する事だってそうかもしれない。けれど、まだまだ何かあるはずだ。


 何かあるはずだ、何かあるはずだ。


と、突然繋がった点と点。自分が歩んできた25年間の、点と点が線になった瞬間。

 

 

 思い立ったら即行動。今さっき、問い合わせメールを送信。具体的な方向性が決まったら、この場で報告しようと思います。

 

 

ちょうど一週間前の記念式(告別式)で花を手向けるとき、僕はごうごうに何も言えなかった。自分の中で、悲しい気持ちを消化するのに精一杯になってた。

 


けれど。

 


ごうごうに教わった、「人にHAPPYを伝える」という行動。まだ形にはなっていないけど、うまく形になったなら、ごうごうの墓前で、今度は笑顔で報告しようと思う。


 「僕は、ごうごうに教わった気持ちを持って、こんなことやってるよ」って。 

 

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2005/1/10 
title:8年ぶりの敬礼―ごうごうに教えてもらったことその2―

 


日曜の朝。
突き刺すような寒空の下、僕はある公園に向かった。 既にそこには、大勢の人が集まっていた。


問い合わせのメールから約1ヶ月。
ごうごうに教えてもらった、「人のために何かする」 「自分を育ててくれた社会に恩返しをする」 気持ち。その気持ちを、具現化する時が来たのだ。

 


参加させてもらったのは「ボーイスカウト活動」。

 


僕は、小学4年生の時から高校2年までボーイスカウトの 活動をしてきた。その中で、様々な経験をさせてもらった。 当時はキャンプなどが楽しかっただけなのだが、今 思い返せばすごく貴重な経験をさせてもらったと 感じている。大学入学に伴い実家を離れてしまったので、 その後進むはずだった指導者の道には進まなかった。

 


昨日、およそ8年ぶりの敬礼をした。その刹那、 心をよぎったのは、スカウトだった過去の自分と、 ごうごうの笑顔。

 


ごうごうの事があって、大切な事を教わって、そこから 「何かできないか」と思った瞬間に気付いたのが スカウト活動だった。自分が過去にしてきた貴重な 経験を、今の子供達(スカウト)にもして欲しい。 自分がしてきた経験から今得ているたくさんの事を、 子供達に伝えていきたい。今、そう、思っている。


そんな僕の考え方を団の方たちが理解してくださり、 さっそく来週、ボーイスカウトのサブリーダーとして 活動に参加させてもらう事に(今回はゲスト扱いだったが、
次回からはスタッフ扱い)。自分が教える事も もちろんだが、活動を通して自分も子供達から何か教えて もらう事ができるんじゃないか、そんな気もしている。

 


「ごうごうの遺志を継いで」なんてカッコイイ 事は考えていない。けれど、ごうごうが生きていた という事を、僕はこれからの指導者としての活動の 中で常に忘れないでいようと思う。


近いうちに、お母様に手紙を書こうと思う。
「娘さんから、大切な事を教わりました。 ありがとうございました」と。
直筆で手紙を書くなんて、いつ以来だろうか。 まず、レターセットを買いにいかねば。

 


そんでもって、ごうごうの墓前で笑顔で報告 できるように、今踏み出したこの一歩を、 大切にしていきたいと思う。

 

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2006/10/18

title:70点を善しとするか?

 

60点、いや、70点ぐらいはとれるのではないか。

 

 

約4ヶ月、悩みに悩み抜いた。
いろんな人に相談もした。

 

 

たぶん、このまま人生を歩めば 70点ぐらいの自己採点はできるのではないかと思う。


まぁ安くは無い給料をもらい、 まだまだ成長性があるビジネスを手がけて。


市場価値の高い人材を目指すことも、 給料が1.5倍ぐらいの外資企業に転職することも 可能だっただろう。(実際オファーも受けた)


忙しい、休みが無いと文句を言いながらも 合間合間を見つけて人生を謳歌することもできたとは思う。

 

 

けれど。
結局今の自分の延長線上では70点の人生しか描けなかった。


最高でも、70点。
「勝手に蓋をするな」と言われそうだけれど、 僕の幸福論に則っての70点なのだ。誰にも文句は言わせない。

 

 

 

だったら、100点を目指すべきなんじゃないのか?
30点の人生になっちゃうかもしれないけれど、 70点で妥協するのも違うやろ!!


たった一度きりの人生、 100点を目指さないでどうするよ??

 

 

 

「自由」の裏にある「責任」という言葉の重さにも ずいぶん悩まされたけれど。

 

 

何かを決めて、断つから、決断。
退路はもう断つ事に決めた。

 

 

 

僕の将来は、
100点の人生は、
僕自身の力で切り"拓"く。

 

 

 

今日、上司に退職の意向を伝えました。
いよいよ自分の人生を変えていくのだ、と思うと 水の入ったグラスを持つ手の震えが 止まりませんでした。。。

 

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2007/02/05

title:【御報告】決意表明

 

”きっかけ”は何だったのか。

 

 

明確なきっかけがあったわけではない。
何か劇的な出来事があったわけではない。

 

 

ただ、漫然と過ぎていく日々の中で 「俺の人生、本当にこのままでいいのか?」 と自問自答し始めたのが去年の春。

 

 

それから、友人や先輩、両親、 卒業アルバムを頼りに中高の恩師に 連絡をとってまで相談して。 もちろん、自分の中で深く深く掘り下げて。

 


よしっ!と決意したのが10月。 (2006/10/18の日記参照)

1月末付けで会社を退職し、そして 先週の土曜日、待ちに待った 「合格通知」が我が家に届いた。 それは、夜間大学の合格通知。

 

 


何のために大学にいくのか。
それは、「教員免許」を取得するためだ。

 

 

 

そう、僕は教員を目指す事を決意したのだ。
具体的には、中学校の数学の教師。
今年7月の採用試験合格を目指している。

 

 

大学で教員免許取得に必要な単位のうち 約6割はとっているので、あと4割を夜間に大学へ通って埋めることになる。 もちろん、教育実習や介護実習も行う。

 


なぜ選択肢が教員だったのか。
理由はいくつかあるけれど、一番大きいのは やっぱり「社会に貢献したい」という
思いだと思う。

 


働きマン」という漫画にこんなシーンがある。 高速道路のトンネルで大規模な玉突き事故が発生し、 現場に急行する週刊誌の編集者。そこで 見たものは、人々が事故現場を携帯カメラで 写している姿だった。その姿を写真にとり 社に持ち帰った後に編集長が言う。

 

「今の世の中はだいぶ狂ってる
 本当はみんなそう感じてる
 だけどどうしていいかわからない
 何もできない
 それがこの1枚に込められてるんだ!」

 


この一言にはかなり衝撃を受けた。 自分が感じている危機感そのものだったからだ。

 


じゃあ自分はどうしたらいい?
何ができる??

 


そんな事を考えていたのと、自分の仕事の 社会的意義に疑問を感じていたこと、あとは昔教員を目指そうと思ったことが あったこと、都会に嫌気が差していたこと、などいろんな要因があって今回の決断になった。

 


あと、忘れてはいけないのはボーイスカウトの 活動だ。月2回程小学校高学年・中学生と 活動しているけれど、子供たちの成長を実感 できる瞬間が心底嬉しいし、ものすごい 達成感を感じることができる。 上記のような理屈だけではなく、 こういった実体験も決断を後押ししている ことは間違いない。

 

もちろん、ボーイスカウト活動のような 社会教育と学校教育では役割が違うし、ましてや 今いじめ問題などで盛り上がっているように 学校という現場は本当に大変なのだろうと思う。

 

けれど、僕はチャレンジしたい。 自分が日本の将来を変えてやる、とまでは 思わないけれど、せめて自分と関わった 子供たちにはいい影響を与えていきたい。

 

巷に溢れる情報に流されず、自分自身で 自分だけの「正解」を判断できる、 そんな人材を育てたい。 そう、考えている。

 


だから、今年はインプットの年。 採用試験合格がもちろん最優先だけど、 教育に携わるからには僕自身のスキルや 魅力を磨く必要があるのは当然で。

 

たくさん勉強して、 たくさん本を読んで、 たくさん人と会って、 たくさん酒を酌み交わして。

 

「できる人」を目指すのはほどほどにして、 僕が考える「ステキな人」に近づくために たくさんのインプットをしたいと考えている。

 

2007年は自分の人生にとって間違いなく ターニングポイントになる。 年前半は働かないからとても「自由」だけれど、 緩まず、驕らず、自分に厳しくして、 2008年4月にどこかの中学校の教壇に 立てるように日々邁進していこう。

 

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はい,2019年に戻ってきました。

で,2007年4月からは昼間は採用試験の勉強,夜は大学という生活を夏までおくって,秋からは日中は派遣社員として働き,採用試験に合格して,2008年4月から教員やってます。

 

いやー、長かったですね(苦笑)

長文にお付き合いいただき,ありがとうございましたm(_ _)m 感謝!