つれづれと雑文

書きたいことを書いているだけのブログです

「シン・ニホン」読書会の参加に寄せて(兼・自己紹介)

はじめましての方は、はじめまして。

マッキーと申します。

41歳男性で,小学校の教員をしています。

 

今回,以前から親交のあるじんぺー君が面白そうな会を企画してくれたので,参加してみることにしました。

 

 

で,今回のエントリーはこの読書会に参加するにあたり,「自分がこれまでに実践してきたこと・これから実現したいこと(勿論シン・ニホンに関連する内容)」を整理しつつ,読書会に参加される方への自己紹介になればいいなぁと思いながら書きました。

 

ですので,基本的にはこの後は「シン・ニホン」(以下「同著」)の読了を前提に進めます。各所で語られている事ではありますが,この国の未来を考える上では必読の名著だと私も思います。

 

このエントリーの内容は,以下の2点です。

 

1.教育現場の最前線にいる者として実践してきたこと・これから実現したいこと

2.校外の某プロジェクトに参画している者としてこれから実現したいこと

 

では本編に進みますね。

 

1.教育現場の最前線にいる者として実践してきたこと・これから実現したいこと

 

前述のとおり,私は現在小学校の教員で,学級担任をしています。ですが,元々は中学校の教員で,専門は数学です。大学では経営工学を学び,卒業論文統計学で書きました。そう,同著で随所で語られている「道具としての数学」を大学で学んでいるのです。

統計的にものを考える力がない人,統計的なセンスがない人がそもそもデータを適切に扱うことはできない。(同著p.166より)

 

ですので,算数数学教育の中でもとりわけ統計教育には熱が入ります。同著が発売される前から,数多くの実践をしてきました。勿論これからの時代に欠かせないリテラシーだからという理由もありますが,それ以上に自分が好きだから,ですね(笑)

 

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2013年の実践(時代を感じる端末ですね笑)

たとえばヒストグラムを自動生成するマクロを仕込んだExcelを使って授業をしたり。

 

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導入のスライド

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4年生がつくったグラフ

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4年生がつくった二次元表

たとえば「コンサルタントになろう!」と銘打ち,保健室のリアルデータを分析してけが人を減らす解決策を提案する(養護教諭に教室に来てもらって班ごとに発表する)授業を企てて実践したり。

 

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「空いている本棚にどんな本があったらいいと思う?」

来年度の予算で買う図書室の本を提案してもらったり(これも実際に提案書としてまとめて学校に提出しました)。

 

他にももっといろいろあるのですが,こういった実践を通して「データを活用するって面白いな,便利だな」と子どもたちが肌で感じてくれたらいいなぁと考えています。

 

リアル空間を知ったり,よくするためにデータの力と面白さを実感してもらう。身の回りからデータを取り,それを使ってなんらかのパターンを見出す訓練を導入し,共にサイエンスとは何かを生々しく理解することを促進する。(同著p.242より)

 

また,こういった学習の後には必ずビッグデータという言葉を用いて価値付けをします。

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授業で実際に使った画像

スマホやSwitchといった子どもたちにとって身近な言葉を用いながら,データがいかに価値があるものかを熱く語ります。

 

言うまでも無い事ですが,今回の学習指導要領改訂(算数・数学)では統計教育の充実が強く押し出されています。算数では「データの活用」という新しい領域も誕生しました。シン・ニホンの価値観にとっては,確実に追い風ですね!

www.dainippon-tosho.co.jp

余談ですが,統計教育の充実については内閣府経産省からかなり強いプレッシャーが文科省にかかったそうです。ひょっとすると,同著でも触れられている安宅さんの官公庁への”投げ込み”が影響しているのかもしれませんね。「統計教育に偏り過ぎているという批判もあるけど,これでもかなり譲歩してもらったんだよ…」と,文科省のある方から銀座のBarで聞きました(笑)

 

 

2.校外の某プロジェクトに参画している者としてこれから実現したいこと

 

 

 私は現在,ご縁があって学習者用デジタル教科書に関するプロジェクトに参画しています。Zoomで何度か打ち合わせをしていますが,画面の向こうにいる大学教授の面々が大物過ぎて震えています(苦笑)。

 

そもそも学習者用デジタル教科書って何?という方はこちらをどうぞ。

www.mext.go.jp

 

まぁ早い話がタブレットが紙の教科書代わりになるということです。厳密にはデジタル教科書と動画や音声などのデジタル教材は違うもので・・・とか色々ありますし,そもそもデジタル化に懐疑的な声があることも承知していますが,今回の本筋とは逸れますのでそのあたりはざっくりと省略します。

 

このプロジェクトで私が求められているのは「デジタル教科書を用いた教育実践」です。授業でデジタル教科書をこう使えばいいですよねー,効果的ですよねー,みたいな。ですが,シン・ニホン的な視点で捉えて,私はデジタル教科書(や教材)で得られたデータをどう現場で活用していくのか,ということを考えています。

 

たとえば先日,このような記事を目にしました。

prtimes.jp

 

Lentranceは教科書会社の最大手である東京書籍が,デジタル教科書のビュアーとして採用しています。ですので,このプラットフォームに集まるデータは相当なビッグデータになるはずです。記事内でも触れられていますが,得られたデータをどう指導に活用していくか,目の前の子ども達を伸ばしてくかを考えるためにどのようなデータをとっていけばよいのか,といったことを考えて実践することがこれからの教員には求められていくと私は考えています。よく言われる「指導の改善」ってやつですね。

 

そうそう,あまり知られていませんが,文科省ではこんな動きもあります。

www.mext.go.jp

例によって現場からのお決まりの批判が飛んできそうな案件ですし(苦笑),実現には高いハードルがあるのはわかるのですが,これはシンニホン的にはかなり胸熱案件だと私は思います。だって学学調査がCBTになったら,必然的に全国の学校で行われているテストがCBTになると思いません?採点業務が激減し,評価も瞬時に出せて,目の前の子ども達のデータを分析して日々の授業に生かすことが出来るなんて・・・ワクワクしませんか?(私だけ??)

 

誤解しないでいただきたいのは,国の教育政策を礼讃したいわけではないのです。もちろん大局観も大切でしょう。しかし,本当に大切なのは各々がそれぞれの持ち場で手を動かして景色を変えていくことだと私は思います(このあたりはシン・ニホンの読者は共感いただけるはず)。

 

大切なのは,自らハンドルを握り,どうしたら希望の持てる未来になるのかを考え,できることから仕掛けていくことだ。(同著p.3より)

 

私が今の立場で出来ること。それは数学(算数)教師として統計教育を充実させること(その価値を広めること),そして学習者用デジタル教科書プロジェクトへの参画を通して教育におけるデータの活用について考えて提案することです。

 

 

・・・うまくまとまりませんが,このようなことを考えている人間です。読書会に参加される皆様,どうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m

 

最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

「withコロナ社会」において学校の先生が出来ることについての考察③~私自身のこれまでとこれから~

 ※今回のエントリーは前回の続編なので,①②を未読の方はまずこちらをお読み下さいm(_ _)m

dan-makino.hatenablog.com

dan-makino.hatenablog.com

 

自分が前に進むために。

情熱を燃やして,手を動かし続けていくために。

このエントリーを書きます。

 

・・・・・・・・・・

 

前回のエントリーから月日が経ってしまいました。続編を楽しみにしておられた方,申し訳ありませんでした。そしてもう1つ謝罪を。これまでは名著「イシューからはじめよ」の枠組みに沿って論考を進めていきましたが,今回のエントリーは副題にもあるとおり,私自身(小学校の現場のいち教員)のこれまでの取り組みとこれからの取り組みについて主にまとめています。はっきり申し上げておくと,「イシューからはじめよ」の枠組みからは,外れます。田舎のいち教員の体験談なんて興味無い,という方はここでウィンドウを閉じて下さい。宜しくお願いしますm(_ _)m

 

それでは。

 

 

・・・・・・・・・・

今思えば,4月は楽しかったという記憶しかありません。コロナ禍の非常時において「楽しい」という表現は適切ではないのかもしれませんが,あの頃はとにかく楽しかった。新しいことを始めるワクワク,思う存分インプットに費やせる在宅勤務の時間,未来に広がる無限の可能性。勤務時間内は業務に取り組んで,定時退勤後(在宅の場合は定時になった瞬間)にブログの執筆をして。ブログの執筆で頭の整理をしつつ,業務で手を動かして,カタチにして。そうそう,ブログの続編も,実は書き始めていたのです。

 

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「イシューからはじめよ」p.34より引用(赤枠は筆者)

 

「イシューからはじめよ」では,次のステップとして「絵コンテづくり」が示されています。「必要な分析のイメージを並べていったもの」とも説明がされていますが,何を分析すればよいかを考え,実際にFormsで学年の保護者にアンケートを取りました。

 

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Formsの集計画面より

 

数字はお見せできませんが,私が担当する学年では,アンケートに答えてくれた子供達の多くは保護者と一緒に端末に触れ,パソコンやタブレットでは無くスマホを使っていることがわかりました。この結果から,キーボード入力を前提とした学習は難しいよね,じゃあどうしようか,といったことを考えていました。

 

上記のアンケート以外にもいろいろと手を動かしました。Flipgridを使って動画を配信したり,Formsでクイズを配信して回収したり。もちろん,うまくいかないこともありました。でも,小さくPDCAを回して,トライ&エラーを繰り返して,学年全体でテックの活用面で確かに前進している手応えがあったんです。

 

 

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Formsを活用したクイズ

 

突然ですが,私の勤務先の自治体はJAET(日本教育工学協会)認定の「学校情報化先進地域」です。4月中旬には,行政主導で家庭のネット環境(端末,回線等)の調査もありました。ひょっとしたらルーターや端末の貸出も行政で行ってくれるかもしれない!(=公平性の担保という最大の課題がクリアできる!!)様々な追い風を受けて「テックを用いた教科教育」が進められる!そう,思っていたし,そのための準備も進めていました。

 

 

ですが。

 

 

結論として業務命令として降りてきたのは「全員にプリントの課題を郵送するための準備」,行政の支援策(税金の使い道)は「電話連絡のための電話回線増設」でした、、、

 

 

知れば知るほど無限に広がる,テック×教育の可能性。

ネット上を賑わせる,先進的な取組の数々。

 

 

それに比べて,自分ときたら。

 

偉そうなブログを書いておいて?

インフルエンサーの力をお借りして,のべ1500人以上の人に読んでもらっておいて?

実際に手を動かしてやっているのが宛先のラベル貼りやプリントの封詰めだなんて。

 

 

 

なにやってんだろ,俺・・・

 

 

 

理想と現実のあまりのギャップに,心がポキンと折れました。

 

 

 

 

もういっか,どうせ頑張ったって給料変わらないし。言われたことだけ,最低限,粛々とこなすか。正直,そんな腐った考えに陥っていたときもありました。

 

 

そんな私のよわよわメンタルに,ショックを与える出来事がありました。

 

それは,5月11日にあった,文部科学省からの発信です。

(見ていただきたい箇所からリンクを貼ってあります。ここから7分程,まだ御覧になっていない方は是非見てください。衝撃です。

(自分はTwitterから離れていたので知らなかったのですが,相当バズったみたいですね)

 

youtu.be

 

キャプチャ画像。文字だけでもインパクト十分。

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上記の動画より

 

文字起こしのブログはこちら。

note.com

 

 詳しくは守秘義務があるので言えませんが,実は私は過去に2年間,文部科学省のあるプロジェクトに関わっていたことがあります。年間で約40日,週末に10時から17時まで(時には夜まで)霞ヶ関で会議に参加していました。そのときに思い知ったのは文科省の方々の凄さ,具体的には視座の高さです。正直,それまでは「また無茶ばっかり言いやがって,文科省は現場のことが何にもわかっていないんだよなー」と思っていました(スミマセン)。ですが,直接的に,また間接的に内部の方々と一緒に仕事をさせていただいて,彼ら彼女らがいかに国全体のことを考えているか,そして公教育全体をより良くしていきたいと考えているか,痛感しました。自分はなんて視野が狭く視座が低いんだろう,と思わされる場面が何度もありました。2年間で,学校では絶対に出来ないような貴重な経験を,たくさんさせていただきました。

 

熱い話も,たくさんしました(主に酒席で)。教育にかける熱い思いは,立場が違っても同じなんだな。それがオモテに出ないのは,やっぱり“お役所”だから仕方ないのかな。そんな風に思っていたので,今回のこの情熱溢れる発信(発信と言うよりは”檄”ですよね,コレ)には本当に驚きました。あの文部科学省が,あんなクレバーな集団の課長(※)が,こんなに感情を露わにして話をするなんて。危機感,切迫感が伝わってきました。

 

(※課長って,言葉の響きだけでは中間管理職っぽく聞こえますが,官庁の課長って,実はすごく立場が上の方なのです。)

 

 

 

で,お前は何をどうするんだ?と。

どうやって形にしていくんだ?と。

 

 1つは,こんな形で「アナログとデジタルのハイブリッド」の形を模索しています。

 

 

具体的には,こんな形。

 

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児童に郵送したワークシート

 

ワークシート内に出てくる「いばスタ(いばらきオンラインスタディ)」は,茨城県教育委員会が作成しているサイト。いわばお墨付きのサイトです。知識技能は言わばアウトソーシングして,見方考え方の部分については自作の動画で解説しました(Flipgridで,約3分)。

 

各所で言われていることではありますが,教師1人が全てを手作りする必要は無いと私も考えています。子供の「学びの全体像」をしっかりとデザインして,省力化できる部分は省力化して,その分浮いたエネルギーを大事なポイントに注げばいい。詳しくは下の記事にありますが,これまで学校というハコの中で実現できていた学びの要素を適材適所に分割していくという捉え方が必要なのだと思います。自分は,専門である算数を中心として,上記のような考え方をこれから具現化していきます。

 

ict-toolbox.com

 

また,勤務校では上の学年でOnenoteTeamsの活用がスタートしているので,自分の学年でも導入できるような形を模索していきたいと考えています。

 

 

最後に,最近読んで印象に残ったブログを紹介させてください。

nobi.com

 Build Back Better,「創造的復興」と訳されるようです。(教科教育に限らず)今の公教育に求められているのは,このマインド,コロナ前の状態に戻すというよりも,制度疲労を起こしまくっている公教育の現状を,これを機により良い状態にしていくんだという気構えなんだと自分は考えています。

 

・・・ちょっと前まで勝手に凹んでいた人間が何を偉そうに言ってるんだって感じですよね,すみません(苦笑)少なくとも私は,上記のような気構えを持って,目の前の子供達の為に,コツコツと手を動かして形にしていきます。仲間のみんなと。

 

もちろん,自分のメンタルを労りながら,ですけどね(苦笑)

 

これからも現場で手を動かし続けて,思考や成果などをブログにまとめていこうと考えています。いつになるか,はお約束できませんがm(_ _)m

 

以上でございます。

こんな長文且つ駄文を,最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m

「withコロナ社会」において学校の先生が出来ることについての考察②~イシューを分解し,ストーリーラインを組み立てよう~

※今回のエントリーは前回の続編なので,①を未読の方はまずこちらをお読み下さいm(_ _)m

dan-makino.hatenablog.com

 前回のエントリーで,イシュー(今本当に答えを出すべき問題)を

 

「学校というハコが機能不全となる状況において,学校の先生達は,受け持つ子どもたちに教科を学ぶ場(≒従来の教室での授業の場)を提供するために,何を行うべきか」

 

と位置付けました。今回はこのイシューを分解し,ストーリーラインを組み立てていきます(下図の赤枠内)。

 

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「イシューからはじめよ」p.34より引用(赤枠は筆者)

赤枠内をより詳しくした図が,下図になります。

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「イシューからはじめよ」p.105より引用

 

では,順番に論考を進めていきます。

 

1.イシューを分解する

上の図では,「大きなイシューを解けるサイズまで分解する」とあります。今回のイシューは,まずは最もシンプルな形で分解します。そう,小学校では「学年」で分解し,中学校(※)は「教科」で分解するのです。

※私は現場経験が無いのですが,高校も中学校同様,教科で分解する形になるのでしょうかね…?

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イシューの分解

当たり前だろ!という声が聞こえてきそうです(苦笑)。私が今回このような分解をした理由を,3つ述べます。

 

<理由①:MECEであること>

MECE」とは「ダブりもモレもないこと」を指します(詳しくはググって下さいm(_ _)m)。ただ,この図だとモレているのが特別支援教育(以下「特支」)です。学校によって,学年に特支の先生が所属している場合と(学年横断の形で)特支チームが存在する場合があるかと思います。後者の場合は,特支は特支のチームでイシューの解を検討するのがよいかと考えます。

 

<理由②:小学校では発達段階の違いが,中学校では教科特性の違いがイシューを解く際のキモになる考えられること>

今回のイシューの解として大きな役割を果たすのがテック(≒ICT技術)なのですが,当たり前ですが小学校1年生と6年生ではリテラシーが全然違いますよね。例えば「保護者にメールでIDを配って,家庭の端末で特定のサービスにログインしてもらう」ということを考えた場合,6年生なら自力で何とか出来る子もいそう(大半が出来そう?)ですが,1年生で親の助け無しに出来る子がいるとは考えづらいですよね。小学校では学年毎に子供の発達段階が大きく異なるので,学年ごとに検討する形がよいと考えます。

一方で,中学校では小学校と比べて,教科の専門性がより高くなります。もちろん中1と中3では知識も経験も発達段階も異なりますが,それよりも教科特性の違いで分解すべきだと考えます。具体的には,国語部会(国語専門の先生の集まり)や数学部会といった集まりで検討する形になるでしょうか。そしてこれは私の願望込みで述べますが,是非中学校の専門の先生に体育や美術といった技能教科の解を見い出して,エッセンスを小学校に降ろして欲しいんですよね。小学校の現場からの声としてなのですが,算数や社会といったいわゆる主要教科は,海外&国内の先行事例などから何となくの見通しがあるんです。反転授業とか。でも,たとえば,学校に集まらずに体育の教科で培われる資質能力を育む学びのイメージが出来ないんです。少なくとも,私には。なので,是非中学校の先生には前例の無い画期的な学びのデザインを描いていただけたらと思いますm(_ _)m(無責任な投げっぱなしで申し訳ないです…)

 

<理由③:学級担任制か教科担任制かの違いがあること>

日本の多くの小学校は学級担任制(担任の先生が自分の学級の全教科を担当する)で,中学校は教科担任制(教科の専門の先生が複数の学級の授業を担当する)です。なので,小学校では「学年」を単位とした小集団がとても強いつながりを持ちます。一方で,中学校ではもちろん学年という単位もあるのですが,同じ教科の担当の先生同士のつながりも小学校以上に,あります。イシューの解を検討する集団として,既存の教師集団のつながりをそのまま使えばいいじゃないか(わざわざ崩す必要も無いんじゃないか)というのが,私の考えです。(なお,最近は小学校でも高学年では教科担任制の学校が増えてきていますので,教科担任制の場合,小学校高学年は教科ごとの分解の方がよいのかもしれません。)

 

以上3点が,私が今回のシンプルな分解を採用した根拠でした。

 

ですが,実はイシューの分解はこれでは終わりません。前回のエントリーに,このような図があったのを覚えておられるでしょうか。

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前回のエントリーでも示した図

ざっくり振り返ると,子供たちが今までのようには登校できない状況がしばらく続くだろうから,その状況を今から想定しておこうね,という話でした。今回,イシューの分解にあたり,この図を作り直してみました。

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「withコロナ社会」において学校が置かれる状況

信号機でたとえてみました。現在,在宅勤務になっている先生方の勤務校の多くは赤信号の状況だと思います。普通の信号機と違うのは,普通赤が終わると青になるのですが,赤が青になることは無く,黄色になるという点です。今の状況で,たとえ毎日登校になったとしても,3密を避けなくてもいい(=コロナ感染の広がりを気にしなくてもよい)状況は当面は想定できないですよね。前回との一番の違いは,この黄色の状況の定義です。登校頻度に限らずにこのように定義すると,元通りの青の状況に戻るのは当面考えづらいことがわかるかと思います。

 

矢印は,コロナ禍においてこれまで日本全国の現場の先生方が振り回された変化&これから対応すべき変化を表しています。首相が法的根拠も無く突然「週明けから全国で休校してね。お願い!」って言い出したり,「えっ,明日の入学式中止ですか!?」(赤の矢印)ってなったり(苦笑)。今後は,黄色の矢印(例:「えっ,GW開けから学校再開ですか?今日5月1日ですけど!?)に対応することもあるでしょう。

 

また,気を付けなければならないのが,黄色の状況になったからといって全員の子供が登校する(出来る)わけではないという点です。具体的には,保護者の判断で子供を登校させない場合・学区に子供がいない場合などです。現に,私が担任している学級には,コロナ感染リスクを理由に教科書配布の1時間のみの登校に来なかった子供もいますし,両親とも医療従事者で止む無く遠方の祖父の家に行っている子供もいます。こういった子供たちの学びをどう実現していくのか,という点も担任教師としては忘れてはいけない視点だと考えています。

 

前回のエントリーでも強調したつもりなのですが,この2つ,黄色と赤を区別することはとても重要だと私は考えています。そして,いつ黄色から赤に,赤から黄色に変わってもいいように備えをしておくことも同じぐらい重要だと考えています。

 

今後もよく使う言葉になりそうなので,黄信号の状況・赤信号の状況にそれぞれ名前をつけておきたいと思います。

 

黄信号の状況⇒Phase Yellow(以下「フェーズY」)

赤信号の状況⇒Phase Red(以下「フェーズR」)

 

(厳密にはこれまで使ってきた「状況」はsituationなのですが,「フェーズ」(段階)という言葉が私にはしっくりくるので,置き換えましたm(_ _)m)

 

そして,各フェーズ毎にイシューの解が必要だということを表した図が,下図になります。

 

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フェーズYとフェーズR

 図にも描きましたが,フェーズYとフェーズRのイシューへの解はそれぞれ検討しつつも,シームレスに移行できるように考えておくことも大事だと考えています。これからも唐突に休校になったり学校が再開になったりすることが,今後予想されるからです。ちなみに私の場合は,勤務校が5/6まで休校(=フェーズR)で,且つ緊急事態宣言の特定警戒都道府県に指定されていることから,フェーズRが当面続くのではないかと(私は)考えています。ですので,まずフェーズRの解を模索して,少しずつでも形にしていって,それからフェーズYの解を検討しようと考えています。

 

 

2.ストーリーラインを組み立てる

 

「イシューからはじめよ」では,典型的なストーリーの流れとして次のように述べられています(p.125)。

 

1 必要な問題意識・前提となる知識の共有

2 カギとなるイシュー,サブイシューの明確化

3 それぞれのサブイシューについての検討結果

4 それらを統合した意味合いの整理

 

この流れに沿って,これまで述べてきたことを仮説的に並べてみます。

 

1 コロナ禍で学校が休校になって,授業が出来ていない。また,オンラインを活用した教育については,事例が海外・国内ともに豊富。

2 小学校では各学年/中学校では各教科において,受け持つ子どもたちに教科を学ぶ場(≒従来の教室での授業の場)を提供するために,何を行うべきか。

3 フェーズY/フェーズRのいずれにおいても、学校の先生が自分の目の前の子供たちの実態に応じてテックを効果的に用いることが出来れば,学校というハコが機能不全となる状況においても教科教育の質は維持できる,むしろより高い質の教育を提供することが出来る。

4 各学年/各教科におけるサブイシューの解を統合すれば,学校におけるイシューの解が求められる。学校における解が明確になれば,学校の設置者(公立校ならば行政)が行うべき施策(例:タブレット端末(←スペックなども?)やモバイルルーターの貸出)も明確になる。また「学校としてこんなビジョンを描いて,こんな取り組みをしていきます」というメッセージを出せば,学習の遅れに対する保護者の不安の解消にも繋がる。

 

こんな感じになるかと思いますが,いかがでしょうか?ちなみに,このストーリーを書いている私は今,目新しいことがあまりにも無さ過ぎて,読んでくださっている方々に申し訳なく思っています…m(_ _)m 週刊少年ジャンプなら,面白味や新鮮味が無さ過ぎて連載開始直後に打ち切りになるストーリーですね(苦笑)。

 

また,「イシューからはじめよ」では,ストーリーラインの2つの型として「空・雨・傘」と「WHYの並び立て」の2つを提示しています。これも書いて(描いて)みましょう。上記の内容と重複もありますが,御容赦下さいm(_ _)m

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「イシューからはじめよ」p.136より引用

 

①空・雨・傘

 

空(課題の確認)…教室というハコで授業(教科教育)が出来ない。

雨(課題の深堀り)…教室を用いずに,教科教育の学びをどのように実現していくのか。どんな学びのデザインを描いて,何にどう着手すべきか。また,多くの子供にとって特別な「学校の先生」という立場で何が出来るかを考えなければならない。

傘(結論)…学校の先生が自分の目の前の子供たちの実態に応じてテックを効果的に用いることが出来れば,学校というハコが機能不全となる状況においても教科教育の質は維持できる,むしろより高い質の教育を提供することが出来る。

 

詳しくは続編で述べるつもりですが,特に幼い子供(小学校4年生ぐらいまで,かな?)にとって学校の先生,担任の先生という立場は他の大人とは違う特別な存在であると私は考えています。だからこそ,巷に溢れているアプリやサービスの機能では実現できない事が出来るんじゃないかとも考えています。この点を「深堀り」しないと,ここをしっかり考えて形にしていかないと,「今やオンラインのサービスがこれだけ充実しているのだから,学校の先生なんていなくてもいいじゃん」という結論に至る強い危機感も持っています。「コロナで世の中は大変みたいだけど公務員の自分は安泰だ♪」なんてお気楽な考えは,私には微塵もありません。

 

②WHYの並び立て

「なぜ,テックの活用に魅力があるのか」…教室に集まる・手渡しでモノを渡すなどの感染リスクを取らずに,先生と子供,子供同士のつながりを持つことが出来るから。

「なぜ,テックの活用を手がけるべきなのか」…テックを活用した教育の事例は豊富に存在し,その可能性が指摘されているから。また,フェーズRにおける学びのデザインを描いて仕組みを構築しておけば,今後の状況の悪化(更なるコロナの爆発的流行,より死亡率の高い悪質な伝染病の流行など)にも備えることができるから。

「なぜ,テックの活用を手がけることができるのか」…ZoomやTeamsといった無料で使えるサービスが世の中にはたくさんあるから。また,追い風となるような動きもたくさんあるから(例えばGIGAスクール構想こんな動きなど)。

 

 

ここまでが,私が「現時点で」描いているストーリーラインの説明でした。と言うのも,ストーリーラインとは「検討が進み,サブイシューに答えが出るたびに,あるいは新しい気付き・洞察が得られるたびに,書き換えて磨いていくもの」(前掲書p.131より)なのですから。各学年や各教科における検討が進めば(=サブイシューに答えが出せれば),書き換えていく可能性は大いにあると考えています。

 

・・・・・・・・・・

 

次回はいよいよ「ストーリーを絵コンテにする」,換言すれば多くの先生方の関心事だと思われる「結局のところ,誰が,何を,どうすればいいんじゃい!」という疑問への解のカタチを検討していく段階になります。

 

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「イシューからはじめよ」p.34より引用(赤枠は筆者)

私は私の勤務校での立場で考えていきますが,是非皆様も「フェーズY/フェーズR」などこのブログで提示してきた枠組みを活用して各々の立場で考えていただければ,筆者としてこれほど嬉しいことはありません。

 

 

今回も長文お読みいただき,ありがとうございましたm(_ _)m

ツイッター(@dan_makino)に御意見や御感想をいただけると,とても嬉しいです。

 

 <追記>

続編は,現時点(4/20の夜)ではまだ5%ぐらいしか出来ていませんが(汗),私が参考にしている書籍や記事は↓のとおりです。御参考までに!

 

「つながり格差」が学力格差を生む

「つながり格差」が学力格差を生む

  • 作者:志水宏吉
  • 発売日: 2014/04/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
教師の勝算―勉強嫌いを好きにする9の法則

教師の勝算―勉強嫌いを好きにする9の法則

 
「資質・能力」と学びのメカニズム

「資質・能力」と学びのメカニズム

  • 作者:奈須 正裕
  • 発売日: 2017/05/29
  • メディア: 単行本
 
反転授業

反転授業

 
反転授業が変える教育の未来――生徒の主体性を引き出す授業への取り組み
 

webronza.asahi.comhugkum.sho.jptoyokeizai.net

「withコロナ社会」において学校の先生が出来ることについての考察①~こういうときこそイシューからはじめよう~

「学校再開後の子供たちの笑顔を思い浮かべながら,この時期に出来ることをしっかりやっていきましょう」

 

在宅勤務の開始にあたり,私の勤務校の学校長からのメッセージには,こう書かれていました(私は,小学校の教員をしています)。

 

確かに,学校が再開される日は,いつかは来るのかもしれません。しかし,数年間は来ないかもしれません。多くの自治体で学校の再開予定日は5月7日だと思うのですが,どうも無邪気に「この日(もしくは近日中)には学校は再開できるだろう」ぐらいに考えている節が,私の周り(勤務校,自治体,教員の友人,Twitter職員室界隈など)にはあるように思います。

 

そんな「いつかは元通りの社会になるだろう」と考えてる方に是非読んでいただきたいのが,このエントリーです。

kaz-ataka.hatenablog.com

 

(↑のエントリー読了を前提で以下を進めます)

 

「シン・ニホン」の著者である安宅氏は,コロナと共に生きていく社会を「withコロナ社会」と名付け,「あらゆる伝染病との共存」を所与の条件として位置付けています。このエントリーや引用されている記事等を読めば読むほど,従来の「30人~40人の子供が一つの教室に毎日集まる」ことを前提とした従来の公教育は今後は成り立たないと考えられます。

 

じゃあ,どうしたらいいの?

これからの公教育は,どうあるべきなの?

現場の教員である我々は,子供の為に何が出来るの?

 

考えれば考えるほど思考が拡散し,ここ数日間,出来の悪い私の頭はぐちゃぐちゃになっていました(苦笑)。

 

そこで思い出したのが,同じく安宅氏の著書「イシューからはじめよ」です。

 イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」

  • 作者:安宅和人
  • 発売日: 2010/11/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

世間では名著と言われている一冊ですが,数年前に読んだ際には,正直そこまで自分にとって必要性を感じていませんでした。

 

しかし,環境(≒私達教員でコントロール出来ない条件)が激変し,公教育の前提が崩れている今だからこそ,イシューからはじめるべきなんじゃないかと。

 

じゃあ,今の自分(或いは学校の先生たち)にとってのイシュー(今本当に答えを出すべき問題)とは何か。結論から先に述べたいと思います。今の時点での私のイシューは,

 

「学校というハコが機能不全となる状況において,学校の先生達は,受け持つ子どもたちに教科を学ぶ場(≒従来の教室での授業の場)を提供するために,何を行うべきか」

です。

 

前掲の本では,よいイシューの3条件として以下の3点が挙げられています。

 

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「イシューからはじめよ」p.56より引用

 

私がこのイシューを「よい」と考えた理由を,この3条件に則って述べていきます。

 

1.本質的な選択肢である

このエントリーの冒頭でも述べましたが,どうも多くの先生方(及び教育行政に関わる人たち)が「今までどおり毎日子どもたちが登校してくる学校」,つまり(上記ブログ内における)「アフターコロナ社会」のことしか考えていないように感じています。しかし,多くの専門家が指摘しているとおり,コロナとの戦いは長期戦になると現時点では考えられています。であれば,withコロナ社会,すなわち学校というハコが長期にわたって機能不全になる状況,わかりやすく換言すれば「子供たちが今までのようには登校できない状況」を想定すべきなんじゃないか,という考えが,このイシューの冒頭の言葉に繋がります。

 

さらに細かく定義するならば,「機能不全」とは,「完全に登校できない状況」だけでなく「(いわゆる3密を回避するために)シフト制による,数日に一度の登校は許される状況」も含んでいます。この2つの場合分けは,現場の先生ではなく学校の設置者(公立校ならば,行政)が決めることではありますが,それぞれの場合で先生のタスクや学びのデザインが全く異なってくるので,学校の先生は自分の勤務校の状況を鑑みて,両方の場合を分けて考える必要があると考えています。たとえば,都内の学校と感染者がほとんどいない県の学校では,状況が全く異なるでしょうから。

 

まとめると,こんな感じです。

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2.深い仮説がある

私の仮説は,

 

「学校の先生が自分の目の前の子供たちの実態に応じてテックを効果的に用いることが出来れば,学校というハコが機能不全となる状況においても教科教育の質は維持できる,むしろより高い質の教育を提供することが出来る」

 

です。教育×テックの可能性については各所で述べられているところなのでここでは割愛しますが,公教育に携わる学校の先生にとって肝要なのは太字の部分,即ち「自分の目の前の子供たちの実態に応じて」という部分だと考えています。目の前の子供たちの実態というのは,「イシューからはじめよ」の中で重要性が強調されている「一次情報」にあたります。「Zoomがいいらしいよ」「Teamsを使えばこんなことが出来るらしいよ」というレベルで留まらず,「目の前の子供達の為には,どんな学びのデザインを描いて,何にどう着手すべきか」という問いに対して,それぞれの学校現場で一人一人の先生方が真剣に知恵を出し合うべきだと考えています。そういう文脈において,自宅勤務において「漠然と学校が再開できる日を願っての,教室における授業を見据えた教材研究」ばかりしているのは,果たして本当の意味で子供の為になっているのだろうか?と先生方には考えていただきたいと思います。(勿論,教材研究をする事が悪いとは言ってないですよ?念の為。)

 

なお,「ネットに繋がる家庭ばかりではない」「端末はどうするのか」「教育格差が広がる」などといったツッコミに対しては,「自分達がコントロール出来ないことを嘆く前に,出来ることを考えて実行しよう」と提案します。具体的には,いつか自分の自治体が熊本市のように端末の貸出などの施策を実行してくれることを想定して,公平性が(完璧とは言わないまでも)ある程度担保されたときの為に今から準備しておこうという心構えでいた方がいいのではないですか?ということです。そう言えば,「文科省が小中学生がいる家庭にモバイルルーターの貸与を検討している」,なんてニュースもありましたよね。

 

また,言い訳も1つしておくと,仮説の中で「教科教育」とわざわざ対象を絞ったのは,たとえば学校行事で培われる資質・能力を学校というハコに依存せずにテックで解決する方法が,私にはまだイメージ出来ないからです。恥ずかしながら。(学校の先生なら原体験があると思うのですが,たとえば「運動会で応援団長をやりきったあの子は,見違えるように成長した!」みたいな事って,あるじゃないですか。それをテックで再現する術が,現時点では私には全く見えていません。。。)

 

この仮説が新しい構造で世の中を説明しているかどうかは断言できませんが,少なくとも,学校というハコが長期間かつ広範囲において機能不全となる状況(※)は,日本の明治以降の公教育の歴史には無い新しい構造であると言えると私は考えます。

 

※戦中/戦後や東日本大震災の時なども同様の状況であったかもしれませんが,「伝染病によって終わりが見えない」という点で今の状況は新しいというのが,私の考えです。

 

3.答えを出せる

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「イシューからはじめよ」p.74より引用

私はこのイシューは「既存の手法,あるいは現在着手し得るアプローチで答えを出せる」(前掲書p.73より)イシューだと確信しています。そして,図の中にあるように「今,本当に答えを出すべき」かつ「答えを出す手段がある」問題だと捉えています。順に考えを述べていきます。

 

<今,本当に答えを出すべきか>

多くの自治体の学校で,コロナによる臨時休校が続いています。前出の熊本市のような熱心な自治体の取り組みや,各学校の創意工夫に溢れた取り組みが「子供たちの学びを止めないために」行われているところだと思います。しかし,多くの保護者から休校が続くことによる不安の声が上がっているのも,事実です。特に,中3(受験生)の保護者から多くの不安の声が上がっているようです。また,先生方の中にも「本当に今年の教科書は終わるのかな?」といった不安がある方もいらっしゃるでしょう。こういった現状は,このイシューに答えを出すことの必要性を示していると考えます。

 

<答えを出す手段はあるのか>

テックが全てを解決するとは思いませんが,調べれば調べるほど教育のおけるテックの可能性は大きいと感じます。これまで営々と培われてきた公教育の文化や膨大な教育技術とテックを掛け合わせることで,必ずそれぞれの目の前の子供たちに応じた「答え」が見つかると,私は考えています。

 

 

 

・・・長々と持論を述べてきましたが,実はここまでが前段階です。思い出してみて下さい。本のタイトルは「イシューからはじめよ」,そう,イシューの定義は「はじまり」なのです!(笑)

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「イシューからはじめよ」p.34より引用(赤枠は筆者)

一週間で言えば今回のエントリーはまだ「月曜日」なのです。次回は「火曜日」,仮説ドリブン①の枠組みに沿って,考えていきたいと思います。

 

長文お読みいただき,ありがとうございましたm(_ _)m

ツイッター(@dan_makino)に御意見や御感想をいただけると,とても嬉しいです。

 

 <追記>

この記事の推敲をしていたタイミング(4/16の夜)で,こんな記事が。追い風,吹いてます!

www.kyobun.co.jp

 

 

自分なりの原理原則を打ち立てよう!

久々の更新ですが,最近思うところがあって,徒然と書いてみます。

 

ここ数年,Twitterやブログなどで情報発信する教員が増えてきました。有益な情報が気軽に無料で手に入るなんて,素晴らしい風潮だと思います。

 

でも,一部の方の,情報を受け取る側の姿勢が,どうしても気になってしまうのです。妄信的,とまでは言いませんが「○○先生の実践を真似すれば大丈夫!」「△△こそが最強!」みたいな,安易な受け取り手が多くなってきているような気がして,おじさんは心配なのです(苦笑)

 

突然ですが,私が大好きな小説「坂の上の雲」にこんなシーンがあります。

 

時は明治。海軍の戦術について学ぶためにアメリカに留学した主人公,秋山真之は,尊敬しているマハン大佐という人物に会いに行きます。そこでマハンはこんな言葉を真之に言うのです。

 

「過去の歴史から実例を引き出して徹底的に調べることである。近世や近代だけでなく古代もやる方がいい。戦いの原理に今も昔もない。」

 

「陸と海の区別すらない。陸戦を調べることによって海戦の原理も分かり、陸戦の法則や教訓を海戦に応用することも出来る。」


「それから得た知識を分解し、自分で編成し直し、自分で自分なりの原理原則を打ち立てることです。自分で立てた原理原則のみが応用のきくものであり、他人から学んだだけではつまりません。」

(「坂の上の雲」2巻(文庫版)より引用)

 

www.youtube.com

(↑これは昔NHKで放送されたものですね)

 

このマハン大佐の言葉を,こうは置き換えられないでしょうか。

つまり,

 

「過去の歴史から実例」⇒古今東西の教育実践

「陸と海の区別すらない」⇒教科の区別すらない

「自分なりの原理原則」⇒自分なりの教育技術

 

というように。

 

「再現性が大事だ」というインフルエンサーの言葉の裏に,彼/彼女が発信するキラキラした成果物の裏に,どれだけ現場で泥臭くもがき苦しんだかということが想像できていますか?表面だけを受け取っていませんか??

 

マハン大佐が言うとおり,大切なのは「自分なりの原理原則を打ち立てること」なのだと,強く思います。もちろん,最初は真似でもよいと思うのです。でも,真似だけじゃつまらないじゃないですか。再現性がどんなに高い実践だって、100%には絶対にならないわけですし。

 

そもそも,当たり前ですが,私たちの目の前にいる子どもは千差万別です。同じ学校で同じ学年を2年連続で受け持ったって,集団や個々人の特性は全く異なります。子ども達のコンディション(テンション)も日によって違うし,1校時か6校時か,時間が違うだけでもいろんな匙加減が変わりますよね。だからこそ,応用が利くように,インフルエンサーの方法論を真似するだけでなく,自分なりに考える必要があるわけです。

 

実際,私は専門外の教科の研究授業もよく観に行きます。最近では,社会の授業を観て「資料を多面的に見る」ことの大切さを学びましたし(そしてその学びを自分の算数の統計領域の授業に繋げました),2年生の国語の授業を観て,そのきめ細やかな教師の手立てに震えました。学んで得たことを少しでも自分の糧にしたい,自分なりの原理原則の確立に繋げていきたい,そう考えています。

 

「自分なりの原理原則を打ち立てる」口で言うのは簡単ですが,難しいですよね。教員歴12年目の私も,まだまだもがいている真っ最中です。でも,上述のとおり,今は良質な情報が簡単に手に入る時代です。数多の情報を自分の糧にして,自分なりの原理原則を形作っていきたいと考えている次第です。

 

最後まで読んでいただき,ありがとうございましたm(_ _)m

 

 

<追記>

誤解が無いように書いておきますが,私は所謂インフルエンサーと呼ばれる方達を心底尊敬しています。ある意味で,熾烈な競争を勝ち抜いておられる方々は,それだけでも凄いですし,訴求力の高いコンテンツには本当に惚れ惚れします。今回話題にしたのは,あくまで情報の受け取り手側の,姿勢の問題です。

#youはどうして先生に

面白いハッシュタグTwitterに流れてきたので,過去の自分が書いたテキストからコピペしてみます(笑)10年以上前に書かれた文章は,それはそれは青臭く,推敲したい気持ちもあるのですが,当時の自分の思いや空気感を大事にしたいので,そのまま垂れ流しちゃいます。

 

先に断っておきますが,ここから先,生産的なことは何一つ書いていません。単なる「自分語り」です(苦笑)。それでも良ければ,どうぞお付き合い下さいませm(_ _)m

 

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2004/10/25

title:現実

 

週末つくばで飲みすぎて酒枯れした喉の痛みも、来月から別のプロジェクトに配属になったから作らなきゃいけない引継書の仕事も、 第7戦までもつれて、熱くなれるはずの日本シリーズも。

 

 

 全部現実なのに、現実じゃないみたいなのはどうしてだろう。

 


朝の満員電車も、もみくちゃになりながら縦に折って読む日経も、 昼に大盛り無料の店に行って「じゃぁ大盛りで」って注文をするのも。

 

全部日常の出来事なのに、日常じゃないみたいなのはどうしてだろう。

 

 

            

 「そろそろ貯金も増えてきたことだし、新しいスーツでも新調するかな」


そう思ってたのに。太いストライプのヤツがいいな、なんてイメージまでしてたのに。

 

 

 

 


まさか、次に買うスーツが黒い礼服になるなんて。

 

 

 


『ダンの夢って何なの?』

大学に入ってすぐの飲み会の後。
酔い醒ましの散歩とか銘打って、当時君の事が好きだった僕は、君を散歩に誘ったよね。


その時に言われたこの言葉。


自分の将来なんて考えた事もなかった僕が、未来を想い描くようになったキッカケになった言葉。

 


ねぇ、ごうごう?

あの時はうまく言葉にできなかったけれど、君の言葉をきっかけに考えた「夢」の入り口に、今僕は立っているよ?

 


ねぇ、ごうごう?

僕は君になにかしてあげれたのかな?

お互い大学の寮を出て、ご近所さんになった時。
 「あ、ちょっと待ってて!」
朝ばったり出会ったとき、君はそういって自分の部屋に戻って、りんごを1つとってきて、 「おいしいんだよこのりんご」と言ってそっと手渡してくれたよね。
あのりんご、めっちゃおいしかったで。 結局そのお返し、しなかったね、俺。ああそうそう、年賀状もくれたよね。 俺、返事書いたっけ??


 最低だね、俺。
 結局、君に僕は何にもしてあげられなかったね。
ごめんね。

 


            


―切なさだけで 悲しみだけで 

 君の街まで飛べればいいのにな―

 

 

アジアン・カンフー・ジェレーションの『ソルファ』。今日本で一番売れているこのアルバムの中の『君の街まで』という曲のこの歌詞を、今の僕程噛みしめている人はいないはず。たとえ何万人がこの曲を聴いていようとも、絶対に。

 


虚無感を紛らわすために寮の非常階段で煙草を吸う。星でも見えれば気が紛れるかな、なんて思ったけれど生憎外は曇り空。

 


 「やっぱり現実なんだよな」

そう呟いて、吐いた煙草の煙が

 


ゆっくり。

 


ゆっくりと、

 


 君の街の方へ。

 

 

 

 

 

天国のごうごうへ。

もうちょっとだけ、もうちょっとだけ待ってください。現実を、現実として受け止めれるまで、もうちょっとだけ時間を下さい。


今我慢しているこの涙が、堰を切ったように流れた時、きっと現実が現実に変わるから。

 


それまでは、僕の思い出の中で笑ってて。

 

 

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2014/11/30

title:ごうごうから教えてもらったことその1

 

 

今日の会議は刺激的で面白かった。お客様との会議だったのだが、書籍などでは決してわからない、生の現場の話をたくさん聞く事ができた。そして、それをどうITを用いて解決していくべきかを考えるのが、僕達の仕事。


つくづく、学生時代に想い描いた、憧れた仕事に今就いていることを実感する。現場にいることでわかる情報、親切な先輩方。全てが理想どおりにいっている、と言っても過言ではないぐらいの環境に今僕は立っている。


昨日、人事部からの依頼のあった会社案内をした。相手は、研究科の後輩達。堅苦しい場にしたくなかったので、ウチの会社のPRもそこそこに、ざっくばらんに
就職活動全体について話をした。


2年前、僕も彼らと同じように就職活動をした。あの時期、もがき苦しみながら精一杯悩みぬいたからこそ、今の自分があるんだ。そう改めて実感する。と同時に、あの時期お世話になった先輩方の顔が浮かぶ。彼らの助言があったから今の僕があるわけで、僕も後輩の彼らにとってそんな存在になれればいいなぁ、と思ったり。


そんな事を考えていたのも、今思えば次にやって来たインパクトの伏線だったのだろう。


つくばからの帰りのバスの車中、ごうごうの事を考える。大学を卒業し、子供達に自然教育をする活動を始めた矢先の事故で亡くなったごうごう。自分の大好きな自然から、子供達に何かを感じてもらうための活動をしていたごうごう。

 


ー瞬間、頭の中で、何かが弾けたー

 


僕は、自分の事しか考えていなかった。「なりたい自分」になるための努力しか、していなかった。仕事から、本から知識を吸収することしか考えていなかった。次に目指すべき資格を決めたりして、自分のキャリアパスしか考えていなかった。

 

そうだ、僕が「人に伝えられる事」ってきっとあるはずだ。自分のためじゃなくって、人のためにできることってあるはずだ。


 就職活動を応援する事だってそうかもしれない。けれど、まだまだ何かあるはずだ。


 何かあるはずだ、何かあるはずだ。


と、突然繋がった点と点。自分が歩んできた25年間の、点と点が線になった瞬間。

 

 

 思い立ったら即行動。今さっき、問い合わせメールを送信。具体的な方向性が決まったら、この場で報告しようと思います。

 

 

ちょうど一週間前の記念式(告別式)で花を手向けるとき、僕はごうごうに何も言えなかった。自分の中で、悲しい気持ちを消化するのに精一杯になってた。

 


けれど。

 


ごうごうに教わった、「人にHAPPYを伝える」という行動。まだ形にはなっていないけど、うまく形になったなら、ごうごうの墓前で、今度は笑顔で報告しようと思う。


 「僕は、ごうごうに教わった気持ちを持って、こんなことやってるよ」って。 

 

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2005/1/10 
title:8年ぶりの敬礼―ごうごうに教えてもらったことその2―

 


日曜の朝。
突き刺すような寒空の下、僕はある公園に向かった。 既にそこには、大勢の人が集まっていた。


問い合わせのメールから約1ヶ月。
ごうごうに教えてもらった、「人のために何かする」 「自分を育ててくれた社会に恩返しをする」 気持ち。その気持ちを、具現化する時が来たのだ。

 


参加させてもらったのは「ボーイスカウト活動」。

 


僕は、小学4年生の時から高校2年までボーイスカウトの 活動をしてきた。その中で、様々な経験をさせてもらった。 当時はキャンプなどが楽しかっただけなのだが、今 思い返せばすごく貴重な経験をさせてもらったと 感じている。大学入学に伴い実家を離れてしまったので、 その後進むはずだった指導者の道には進まなかった。

 


昨日、およそ8年ぶりの敬礼をした。その刹那、 心をよぎったのは、スカウトだった過去の自分と、 ごうごうの笑顔。

 


ごうごうの事があって、大切な事を教わって、そこから 「何かできないか」と思った瞬間に気付いたのが スカウト活動だった。自分が過去にしてきた貴重な 経験を、今の子供達(スカウト)にもして欲しい。 自分がしてきた経験から今得ているたくさんの事を、 子供達に伝えていきたい。今、そう、思っている。


そんな僕の考え方を団の方たちが理解してくださり、 さっそく来週、ボーイスカウトのサブリーダーとして 活動に参加させてもらう事に(今回はゲスト扱いだったが、
次回からはスタッフ扱い)。自分が教える事も もちろんだが、活動を通して自分も子供達から何か教えて もらう事ができるんじゃないか、そんな気もしている。

 


「ごうごうの遺志を継いで」なんてカッコイイ 事は考えていない。けれど、ごうごうが生きていた という事を、僕はこれからの指導者としての活動の 中で常に忘れないでいようと思う。


近いうちに、お母様に手紙を書こうと思う。
「娘さんから、大切な事を教わりました。 ありがとうございました」と。
直筆で手紙を書くなんて、いつ以来だろうか。 まず、レターセットを買いにいかねば。

 


そんでもって、ごうごうの墓前で笑顔で報告 できるように、今踏み出したこの一歩を、 大切にしていきたいと思う。

 

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2006/10/18

title:70点を善しとするか?

 

60点、いや、70点ぐらいはとれるのではないか。

 

 

約4ヶ月、悩みに悩み抜いた。
いろんな人に相談もした。

 

 

たぶん、このまま人生を歩めば 70点ぐらいの自己採点はできるのではないかと思う。


まぁ安くは無い給料をもらい、 まだまだ成長性があるビジネスを手がけて。


市場価値の高い人材を目指すことも、 給料が1.5倍ぐらいの外資企業に転職することも 可能だっただろう。(実際オファーも受けた)


忙しい、休みが無いと文句を言いながらも 合間合間を見つけて人生を謳歌することもできたとは思う。

 

 

けれど。
結局今の自分の延長線上では70点の人生しか描けなかった。


最高でも、70点。
「勝手に蓋をするな」と言われそうだけれど、 僕の幸福論に則っての70点なのだ。誰にも文句は言わせない。

 

 

 

だったら、100点を目指すべきなんじゃないのか?
30点の人生になっちゃうかもしれないけれど、 70点で妥協するのも違うやろ!!


たった一度きりの人生、 100点を目指さないでどうするよ??

 

 

 

「自由」の裏にある「責任」という言葉の重さにも ずいぶん悩まされたけれど。

 

 

何かを決めて、断つから、決断。
退路はもう断つ事に決めた。

 

 

 

僕の将来は、
100点の人生は、
僕自身の力で切り"拓"く。

 

 

 

今日、上司に退職の意向を伝えました。
いよいよ自分の人生を変えていくのだ、と思うと 水の入ったグラスを持つ手の震えが 止まりませんでした。。。

 

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2007/02/05

title:【御報告】決意表明

 

”きっかけ”は何だったのか。

 

 

明確なきっかけがあったわけではない。
何か劇的な出来事があったわけではない。

 

 

ただ、漫然と過ぎていく日々の中で 「俺の人生、本当にこのままでいいのか?」 と自問自答し始めたのが去年の春。

 

 

それから、友人や先輩、両親、 卒業アルバムを頼りに中高の恩師に 連絡をとってまで相談して。 もちろん、自分の中で深く深く掘り下げて。

 


よしっ!と決意したのが10月。 (2006/10/18の日記参照)

1月末付けで会社を退職し、そして 先週の土曜日、待ちに待った 「合格通知」が我が家に届いた。 それは、夜間大学の合格通知。

 

 


何のために大学にいくのか。
それは、「教員免許」を取得するためだ。

 

 

 

そう、僕は教員を目指す事を決意したのだ。
具体的には、中学校の数学の教師。
今年7月の採用試験合格を目指している。

 

 

大学で教員免許取得に必要な単位のうち 約6割はとっているので、あと4割を夜間に大学へ通って埋めることになる。 もちろん、教育実習や介護実習も行う。

 


なぜ選択肢が教員だったのか。
理由はいくつかあるけれど、一番大きいのは やっぱり「社会に貢献したい」という
思いだと思う。

 


働きマン」という漫画にこんなシーンがある。 高速道路のトンネルで大規模な玉突き事故が発生し、 現場に急行する週刊誌の編集者。そこで 見たものは、人々が事故現場を携帯カメラで 写している姿だった。その姿を写真にとり 社に持ち帰った後に編集長が言う。

 

「今の世の中はだいぶ狂ってる
 本当はみんなそう感じてる
 だけどどうしていいかわからない
 何もできない
 それがこの1枚に込められてるんだ!」

 


この一言にはかなり衝撃を受けた。 自分が感じている危機感そのものだったからだ。

 


じゃあ自分はどうしたらいい?
何ができる??

 


そんな事を考えていたのと、自分の仕事の 社会的意義に疑問を感じていたこと、あとは昔教員を目指そうと思ったことが あったこと、都会に嫌気が差していたこと、などいろんな要因があって今回の決断になった。

 


あと、忘れてはいけないのはボーイスカウトの 活動だ。月2回程小学校高学年・中学生と 活動しているけれど、子供たちの成長を実感 できる瞬間が心底嬉しいし、ものすごい 達成感を感じることができる。 上記のような理屈だけではなく、 こういった実体験も決断を後押ししている ことは間違いない。

 

もちろん、ボーイスカウト活動のような 社会教育と学校教育では役割が違うし、ましてや 今いじめ問題などで盛り上がっているように 学校という現場は本当に大変なのだろうと思う。

 

けれど、僕はチャレンジしたい。 自分が日本の将来を変えてやる、とまでは 思わないけれど、せめて自分と関わった 子供たちにはいい影響を与えていきたい。

 

巷に溢れる情報に流されず、自分自身で 自分だけの「正解」を判断できる、 そんな人材を育てたい。 そう、考えている。

 


だから、今年はインプットの年。 採用試験合格がもちろん最優先だけど、 教育に携わるからには僕自身のスキルや 魅力を磨く必要があるのは当然で。

 

たくさん勉強して、 たくさん本を読んで、 たくさん人と会って、 たくさん酒を酌み交わして。

 

「できる人」を目指すのはほどほどにして、 僕が考える「ステキな人」に近づくために たくさんのインプットをしたいと考えている。

 

2007年は自分の人生にとって間違いなく ターニングポイントになる。 年前半は働かないからとても「自由」だけれど、 緩まず、驕らず、自分に厳しくして、 2008年4月にどこかの中学校の教壇に 立てるように日々邁進していこう。

 

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はい,2019年に戻ってきました。

で,2007年4月からは昼間は採用試験の勉強,夜は大学という生活を夏までおくって,秋からは日中は派遣社員として働き,採用試験に合格して,2008年4月から教員やってます。

 

いやー、長かったですね(苦笑)

長文にお付き合いいただき,ありがとうございましたm(_ _)m 感謝!

 

 

「全バカ」や「7つの習慣」を基にタイムマネジメントについて考えてみました

先日,校内で研修講師を務めた「タイムマネジメント研修」のスライドを公開しますね。少々長くなっておりますが,最後までお付き合いいただければ幸いですm(_ _)m

 

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いきなり「なんじゃそりゃ!?」って感じですが,もちろん最後に回収(真意をお伝え)します(笑)
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要は,「(自分で)コントロールできることにエネルギーを注ぎましょう」ということです。新学習指導要領に関連して,新しい取り組みがドカドカ降ってきていますよね。2020年に向けて,その流れはより加速していくことでしょう。ですが,「なんだよ〇〇教育って!!」と愚痴ってばかりいても,残念ながら仕事は減りません。自分でコントロールできることに注力した方が,よっぽど生産的です。

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「第二領域を大切にする」。私が「7つの習慣」から得た,一番大きな学びです。第二領域にエネルギーを注ぎ,第一領域を圧縮するのです。たとえば,「他校の公開授業に参加する」ことは,すぐには役には立ちません。しかし,参加することで得た知見が自分の引き出しとなり,いつかは役に立ちます。watcha!の各種イベントへの参加(企画も勿論)もそういう側面があるでしょう。読書やPCのショートカットキーの習得も同様です。また,一番どうでもいい「第四領域」を減らすための工夫も必要だと考えています。具体的には,iPhoneの「スクリーンタイム」の活用や,録画したテレビ番組を1.5倍速で観るといったノウハウです。

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最初はゴールを見せずにあみだくじを選ぶ→A~Eをランダムで選ぶしかない→でもゴールがわかると逆向きに目で追ってDを選びますよね,という「逆算思考」の説明です。パワポでは,アニメーションにも凝ったのですよ(笑)

 

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「じゃあどうするんだ!?」は,のちほど・・・

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さる先生は著書『さる先生の「全部やろうはバカやろう」』で,15分を1単位とした時間の使い方を提唱されています。私は「このタスクは○分で終わらせる!」と決めたら,砂時計ソフトを使って時間を設定し,デスクトップ右下に置いておきます。すると「あと半分ぐらいだ」「やばい,あと少しだ」といったことがすぐに可視化できます。ちなみに私が使っているのはこのソフトです。シンプルで,おすすめです!

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まあ,この話も「全バカ」を読んだ方ならおわかりですよね(笑)

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ここは私が特に力を込めて語ったスライドです。精神疾患者の増大,採用試験の倍率低下,そして何より「身近な人」(お世話になった先輩,仲の良かった同期,志をもって仲間になってくれた後輩)が教職を離れなくてはならないほど追い込まれたという現実。私はもう二度と,こんな不幸を生み出したくはありません。だからこそ,このスライドも,魂込めて作りました。

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「今までうまくいっていたからといって,これからもうまくいく保障は無いですよ」ということです。

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そして生徒指導の対応に追われてまた第一領域が増えて・・・という魔のループ。

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ここで「夏休みの宿題」のくだりを回収します。つまり,「予期できない(コントロールできない)仕事に対応するために,余裕を確保しておく」ことの必要性を訴えたのです。

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名著「夜と霧」から。アウシュビッツのような極限の状況でも,人は選ぶことができた。選ぶことを選びませんか,という提案です。(アウシュビッツで「選ぶ」って何!?と思った方は是非「夜と霧」の一読をお勧めします。エッセンスだけここでお伝えしても,私の表現力不足もあって伝わらないと判断しました)

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最初のスライド(この研修の内容は大切ではない)を回収します。「自分にとって大切なものを,本当に大切にする人生」を選ぶために,タイムマネジメントの考え方はあるのだと思います。そう,タイムマネジメントは目的ではなく手段なのです。

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これまた名著「星の王子様」より。有名な1つ目の言葉よりも,私は2つめの言葉の方が好きです。

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以上です。長文を最後までお読みいただき,ありがとうございましたm(_ _)m

 

 

 

<主な参考文献>

完訳 7つの習慣 人格主義の回復(スティーブン・R・コヴィー, キングベアー出版,2013)

 

さる先生の「全部やろうはバカやろう」(坂本良晶,学陽書房,2019)

 

いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学(センディル・ムッライナタン,早川書房,2015)